■■■SHOCKING PINK

日々の徒然をダラダラと。

矢張り欲張りだと思うよ

喉が渇いてる人が3人居るとします。
3人はそれぞれ違う状況にいます。

Aさんは、砂漠に居ます。着の身着のままで、
もう干からびて死ぬ直前のようなひどい状態。
ほんの小さな水たまりを見つけました。
当然それは雨水が地面に残ってるだけの汚いものですが、
その泥水を舐めることでその人は、
ほんのわずか渇きが癒されて幸せを感じます。

Bさんは、田舎の一本道に居ます。
両側は延々田んぼの、日の照りつける暑い道です。
随分歩いて自販機に辿り着いて、ジュースを買いました。
冷たいジュースをゴクゴク飲んで、その人は幸せを感じます。

Cさんは、街中に居ます。
ちょっと喉が渇いたので、
サクッと冷房の効いた涼しいカフェに入って、
ゆったり座って、美味しいアイスティーを飲みました。


真冬にこのたとえ話もナンですけど。
Aさんから見れば、BさんやCさんの状況は
信じられない幸福度な訳です。
BさんもCさんの状況は羨ましい訳です。

でもCさんには『喉が渇く=カフェでお茶』が日常なので、
「今度はもっとオシャレなお店に行きたい」とか、
「今度はもっとメニューの充実してるお店に行きたい」とか、
自分の状況に不満を持っています。

AさんやBさんからすると、「C!贅沢言うな!!」ってなりますな。
でも更にAさんからすると、
「B!オマエもCが羨ましいとか贅沢なんだよ!」ってなりますな。

Bさんも、「自分はCさんみたいに贅沢はできてないけど、
Aさんほど落ちぶれちゃいないしィ」と優越感を持ってるし。




日常には慣れてしまいます。
『慣れること=日常』だから当然ですが。
日常に不満を持つことは、
ステップアップへの足掛かりになりますから、
特に悪いこととは思えません。
でも、自分が現在手にしてるもののありがたさに
納得したり満足したりする気持ちを、
忘れていたり感謝を欠いていたりすんのは如何なものかと。

足る気持ちを知るということ。
現状に満足しないで不平ばかり言っていたら、
心から幸福を感じることができずに
延々ステキカフェを探し続けることになるのだと思います。
満たされない不満だらけのままで。