■■■SHOCKING PINK

日々の徒然をダラダラと。

喪中

実家のねこが他界しました。19歳三ヶ月だったから、大往生だけど、寂しくてならない。



10月25日、日曜早朝、珍しく父からのメールを受信。
ネコキトクスグカエレ。
予定を変更し実家へ猫の見舞いに行く。

実家の猫は高齢で、もし何かあったらいつでも連絡してくれと
以前から親に頼んでいたのだが、
とうとうきたかと半泣きで電車に乗った。


猫は母の布団で寝かされていた。母と一緒に眠るのが常だったので、
その日に母が起床した後、そのまま寝かされているようだった。
そう知ってはいても人間用の布団に小さい猫が寝かされているのは不謹慎ながら少し可笑しかった。
よくよく猫の状態を見ると、とても動かせる様子ではなかった。
見るからに危篤だった。

目は開いていたが、ぼんやりしていて焦点が定まっていない。見えていないのかもしれない。
寝返りも自力でできないほど衰弱していた。
そっと前足を握ったが、猫とは思えないほど、
ひやりと体温が低くて、その時が近いんだなと思わされた。


猫の枕元に座って母の話を聞いた。
ここのところは老猫らしくほとんど外出もせず終日家で寝ていたこと。
数日前に夜出かけてしばらく戻らなかったので、父と二人で懐中電灯を持って近所を探したこと。
見つからず落胆して帰宅したら、猫も帰ってきたこと。
それからすぐ、まったく食欲が落ちたようで、食卓の周りで何かくれとねだらなくなり、
自分の食事はおろか水も飲まなくなってしまったこと。
獣医に相談して猫用ミルクを用意し、スポイトで口元に持っていってもほとんど舐めないこと。
母は泣きながら語り、私も相槌を打ちながら鼻水をすすった。


獣医に連れていって点滴でも打てば多少持ち直すかもしれない。
しかし恐らく老衰なのだし、このこが嫌いな病院へ連行して
注射してストレスを与えてちょっぴり存命させるのは酷なように思われた。
母も似たようなことを言っていた。
多分、会うのはこれで最後だろう。うなだれて帰途についた。


1990年の10月に生後三ヶ月くらいの子猫が来て、以来19年ウチにいた。
私が一緒に暮らしたのはそのうち13年くらい。
真っ黒の毛並みが美しくて、目は山吹色と黒目のコントラストがきれいで、
尻尾がすらりと長くて、喧嘩が弱かったので他の猫に縄張りを荒らされてばっかりだったけど、
優しくて、ひどいいたずらもしない、大人しい良い猫でした。
声もすごく可愛かった。晩年はしわがれ声になってしまっていたけど。


眠り浅く過ごし翌日、昼休みにメールをチェックして、訃報を知った。
深夜に亡くなったらしい。母が看取ったそうだ。


猫は死に場所を探しに出ていってしまう と聞く。
数日前に一時行方不明になったのは、死に場所を探しに行ってたのかもしれない。
しかし戻ってきて、最期の場所を家にしてくれたのは、
彼女なりの飼い主孝行だったのだろう。


私が会いに行くことのできる土日にかけて危篤に陥ったのも、
彼女の気遣いのように思えてならない。